7.始原袋内での物質代謝経路の創生の芽生え

 生命誕生の場になった無数の閉ざされた狭い半透膜の袋が、原始前生物環境の“原始スープ”に存在していたタンパク性物質である短鎖ペプチド複合体とその他の雑多な物質を不均一に無作為に取り込むことにより、どのようにして生命活動の場に変貌したかについて考えてみよう。この袋が生命活動を起動するためにタンパク性物質が成し遂げたことは多方面にわたり、そのひとつが物質代謝と遺伝装置の進化だったことについては、先に述べたとおりである。また、閉ざされた狭い半透膜の始原袋が、原始前生物環境との橋渡しの役割を果たしたことにも触れた。そこで、ここでは主に物質代謝の成り立ちと、遺伝装置の原型がいかに創生されたかについて、述べることにする。
 

 始原袋で行われる化学変化

 原始前生物環境でつくられた多様な物質が浮遊する、“原始スープ”。この中で無数の始原袋が創生されたと考えている。始原袋はスープの多様な物質のごく一部を、不均一に包み込むようにして取り入れ、その内部では包み込んだ物質と外部から供給できるアミノ酸や単糖などの低分子物質とで、閉ざされた狭い空間という環境に適応しながら独自の化学変化がおこったと考えられる。その化学変化は始原袋単独でおこる場合もあるし、複数の始原袋の膜が融合して、袋中の不均一な物質がさらに混合され、それまでとは質的に異なった化学変化が誘発されることがあったかもしれない。

 始原袋で物質が化学変化を起こし、いろんな物質が生成されると、それを維持するために必要な物質を外部から供給しなければならなくなる。その場合の物質は、膜を通過できるアミノ酸や単糖などの低分子物質に限定されると先に述べた。特に生命物質の供給源が炭素源として取り込む単糖であるため、この簡単な物質からどのようにして複雑な生命物質を合成できたのかを考えてみたい。
 

 低分子物質から複雑な生命物質への合成

 開放系の原始前生物環境では、多種多様の物質が意図性がなく無作為に生産されたと繰り返し述べたが、物質が合成される場合、その反応に関連した触媒性短鎖ペプチド複合体が主体になっていたことが重要であると考えている。しかし、物質が合成されたのが開放系であったため、物質は拡散され、その間の相互の関連性はあまりなく、たとえあったとしても部分的な短い連続反応があったにすぎないだろう。この短い反応系が始原袋という閉ざされた狭い空間で物質密度が増し、物質間の衝突の頻度が高くなると、化学変化も活発になり、合成される物質も次第に増加する。同時に、系統的な物質間の連絡も密接になり、それぞれの物質間での、より連続した長い反応系が形成されたと考えられる。一方、供給できる物質は単糖のようなわずかな種類の低分子物質に限られており、必然的にこの物質が唯一の供給源となり、この低分子からすべての生命物質を合成しなければならない。単糖から意図性をもってすべての生体物質を合成するための複雑なネットワーク、即ち物質代謝経路を創生し、同時に物質合成に必要なエネルギーを供給できるエネルギー代謝系も創生したに違いない。試行錯誤の末、このようなネットワークが既存の物質代謝系に進化したと考えられる。

 この物質代謝ネットワークの創生は、案外困難なことではなかったと考えている。それは、開放系の原始前生物環境での多様な個々の物質の合成の経験則を想起すれば、原始袋という閉ざされた狭い空間という条件で、物質同士が連結する連続反応系の創生はそれほど難しいことではなかったと思われるからである。原始前生物環境の物質合成の経験を踏襲し、拡散していた物質を特異的に連結し、多くの物質の連続反応系を拡充させ物質代謝ネットワークが創生されたと考えられる。拡散していた物質が袋という密閉した環境に適合しながら集合し、組織化され代謝機能をもったということは、物質生産の統一性と連続性を感じるのである。

 生命誕生のプロセスにおいて、原始袋の活動に必要な物質が炭素源として単糖に全面的に切り換わり、袋の中で生命誕生に必要なすべての有機物質が自律的に合成できる物質代謝系やエネルギー代謝系が創生されたことは、とりわけ重要であると考える。その後の化学反応を触媒するタンパク性物質の情報を持つ遺伝子の複製や、タンパク質発現に必要な遺伝装置などの多くの生体装置なども、必然的にすべて自力で創生され、だからこそ、自己制御組織体としての生命は極端に複雑な化学工場といわれ、汲み尽せない研究の対象になっているのである。

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