6.細胞の原型としての始原袋(細胞の起源)

 

始原袋が担う運命的課題

 開放系でつくられた“原始スープ”の中で、閉ざされた狭い半透膜の袋が無数に創生された。これら無数の袋が創生される際に、それぞれの袋内部に多様な物質が混在する“原始スープ”の一部が不均一に、狭い空間に閉じ込められ、この空間で物質間の衝突が繰り返され、ごく一部の袋の中で独自の化学反応が始まったと考えられる。このとき、半透膜の始原袋は“原始スープ”の低分子物質の出入りは可能で、膜を通じて外界の情報を絶えず取り入れ、周りの環境に適合していったと考えられる。即ち、ここでも膜融合の果たした役割は大きいのである。

 その後、始原袋で多くの化学反応が行われるようになると、その素材となる物質の供給が必要になってくる。供給源になったのは、唯一半透膜を通過できる“原始スープ”に存在する単糖やアミノ酸のような低分子物質のみである。始原袋では、たった一つの炭素源である単糖から、タンパク質の構成物質である20種のアミノ酸を自律的につくりだす物質代謝系を生み出さなければならなかった。いいかえれば、始原袋という小宇宙は、この生命の誕生という大事業にあたり、制限された低分子供給物から必要とされるすべての物質を合成しなければならないという運命を、はじめから背負っていたことになる。そのため、いろいろな化学反応の中から生命誕生に必要な物質を合成できる化学反応系を寄せ集め、それらを連結して、後の物質代謝系の原型を創生して対処したと考えられる。
 

 DNAの塩基配列の利用

 課題はほかにもある。原始前生物環境で物質代謝系の代謝物質をつくったタンパク性触媒の遺伝情報、それら短鎖ペプチド複合体の遺伝情報が”個別短鎖ペプチド複合体獲得装置“で多数蓄積されてくると、情報を収納管理すること自体が困難になる。そこで始原袋では、はるかに大きい収納能力をもった新しい管理機構が必要とされたのである。また、これは短鎖ペプチド複合体のようなタンパク性物質が始原袋に取り込まれた後におこったと考えられるが、複合体を構成するペプチドがペプチド結合で連結したアミノ酸100個以上の長い鎖の原始タンパクの進化である。長い鎖の原始タンパク質の複製は、旧体制のタンパク性複製機構では不可能であり、この遺伝情報を収納するためにDNAの塩基配列が利用されたと考えられる。即ち、新しく長い原始タンパク質鎖をコードする遺伝子や、数千から数万種類の遺伝子を一括して、膨大な容量の遺伝情報を収納するために、一本の二重らせん構造であるDNAの原型がつくられたと考えられ、その時期は始原袋が原始細胞に進化した頃と想定する。蓄積された短鎖ペプチド複合体や分子進化した原始タンパク質などの厖大な遺伝情報を、DNAを利用して簡単に収納できる、画期的な装置が創生されたのである。始原袋で、唯一の炭素源から生命誕生に必要な生命物質を生産する物質代謝系の確立と、その物質代謝に関係する触媒性短鎖ペプチド複合体の遺伝情報を大量に収納したり、遺伝情報を発現する遺伝装置を構築したことが、生命誕生の分水嶺になったのであろう。

 私は、第1部で述べた原始無生物世界の開放系としての環境と、第2部の外界から閉ざされた狭い半透明の袋の中のような環境では、それぞれの物質進化に大きな違いがあると考えている。生命は原始前生物環境で生じた物質を、この閉ざされた狭い袋状の空間に閉じ込め、タンパク性物質の独自の進化を促しつつ、奇跡的に生命を誕生させたのである。しかし、原始前生物の開放環境と始原袋の環境は、比較すると大変異なるものの、物質のレベルでみれば、開放系環境の物質が閉ざされた環境に取り込まれたにすぎないと考えられ、生命の誕生は始原袋の環境が大きく変化し独自の物質進化が起こったことに起因していると考えてもよいのではないかといえる。

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