13.断片化思想
短鎖ペプチドの特異的結合能力
上述したように、短鎖ペプチドとその複合体が原始地球環境に存在するすべての有機物質とそれぞれ特異的に結合する能力を獲得する過程において、将来出現するであろう未知の有機物質への対処を想定し、事前に準備を整えておくという思想が芽生えたのではないか、と私は考えている。このような考えに至ったのは、動物細胞の免疫系における抗体タンパクの生成機構を知ってからである。免疫系では、体内にどのような抗原タンパクが侵入するかは全く予知することができないため、動物細胞が選んだ戦略は抗体タンパクをどのような種類の抗原が侵入したとしても、それに対処できるように何十億という圧倒的に多い種類を予め生産しておくというものであった。そのようにしておけば、どのような抗原が侵入したとしても、これらの厖大な種類の抗体タンパクの中で、たとえ特異性が低くとも結合するものが現れ、その抗体タンパクが大量に生産する過程で、特異性の高いものに構造が変化してゆけばいいのである。このように予知できない物質を想定して、すべてのものに対処できるように準備しておくことが万全の方策であることを、免疫機構は暗示している。
抗体タンパクの生産
ここで私が注目したのは、厖大な種類の抗体タンパクを生産する機構であった。このように厖大な種類の抗体タンパクをすべてコードする抗体遺伝子が存在しなければならないとしたら、ゲノムは抗体遺伝子で占領されてしまうだろう。しかし抗体遺伝子は一種類しか存在せず、動物細胞は独特のシステムで一つの抗体遺伝子から厖大な種類の抗体タンパクを効率よく生産している。即ち、抗体遺伝子はイントロンによって分断され、数百個の遺伝子断片がV、D、J遺伝子族に分かれ、それぞれの遺伝子族は特定のアミノ酸数のペプチド鎖をコードして抗体遺伝子上に分散している。それは、抗体タンパクの生産過程で、抗体遺伝子の転写物がRNAスプライシングによってV、D、J遺伝子族に編集・翻訳され、厖大な抗体タンパクが生産されることを意味する。数百種類のV遺伝子族と10~20種のD遺伝子族、そして4~6種のJ遺伝子族が組み合わされ、また遺伝子族が結合する際に生じる突然変異などにより、数十億という厖大な種類の抗体タンパクが準備されるのである。動物細胞は抗体タンパクの種類の遺伝子がなくてもよく、一つの遺伝子を分断化し、その断片の組み合わせで予想外の多くの抗体タンパクを生産するという、非常に無駄のない合理的な機構を創生したのである(参考文献:Pro. Natl. Acad. Sci. USA, 93,5443-5448 (1996))。
短鎖ペプチド構成体
以上のことからは、短鎖ペプチドが抗体遺伝子の各断片に相当し、分断化した抗体タンパク遺伝子族よりも多い短鎖ペプチドの種類が用意できれば、その組み合せによって抗体タンパクよりも遥かに厖大な短鎖ペプチド複合体の形成が可能であることを想定できる。私はタンパク質の起源は原始地球環境で自然生成した短鎖ペプチドであり、それが最終的には限られた種類に選択された短鎖ペプチド構成体の組み合わせによる多種多様な複合体形成となり、その複合体を構成する短鎖ペプチドが連結し原始タンパク質の創生につながったと、抗体タンパクの生成機構から予測した。逆に、抗体タンパクよりも遥かに厖大な種類が必要な各種のタンパク質においては、その原型である短鎖ペプチド複合体の形成に使われる短鎖ペプチド構成体の種類が、抗体遺伝子断片より多い千種類に近い数百種類だったと推測している。これは少し飛躍があるような気もするが、あくまでも厖大な種類の短鎖ペプチド複合体・タンパク質をつくるには、わずかな種類の遺伝子断片の組み合わせで可能であるという意味で述べたままである。
このように、容易に多様化を推進するために、一つのものを分断して、その断片をいろんな組み合わせで再構築して多様化を図ることを、私は“断片化思想”と呼ぶことにした。断片化思想は、本来は短鎖ペプチド構成体を基盤とした短鎖ペプチド複合体形成に起源をもつが、その思想は抗体遺伝子による抗体タンパクの多様性にも受け継がれた、いわば”先祖返り”であると考えている。