34.短鎖ペプチド構成体の複製と鋳型的多酵素複合体系機構
上述したように、原始前生物環境の初期の頃には、雑多に自然生成された短鎖ペプチドが次第に最小限の短鎖ペプチド構成体に収束されたと考えられる。短鎖ペプチド複合体は短鎖ペプチド構成体が特異的に複製されれば、立体構造は自動的に複製されることから、この構成体の種類が最小限度になったことは、次に起こる短鎖ペプチドの複製にとって経済性からみて重要なことであったと私は考えている。この最小限に収束された短鎖ペプチドの種類は、千に近い数百種類ぐらいになっていたと予測している。個別の短鎖ペプチド複合体の需要が高くなるにつれ、自然生成だけでは短鎖ペプチド構成体が需要を満たすことができなくなり、自然生成に依存しない手段で自力で大量に供給する仕組みが必要になった。同じアミノ酸配をもつ短鎖ペプチド構成体を自律的につくる複製機構の創生は、そのために必要とされたのである。しかし、アミノ酸配列が本格的に重視されるようになったのは、生命誕生前後のタンパク質をコードしている遺伝子の塩基配列がDNAの自己複製によって正確に次世代に伝達されたり、遺伝子の正確な塩基配列に基づくタンパク質の生合成が確立された後のことであったと考えている。
細胞におけるタンパク質生合成機構はすべて遺伝子の管理下で一元化されており、第一段階のアミノ酸数が数百個の新生ポリペプチドを生合成する機構は、ほぼすべてがリボソームが介在する系で行われ、細胞中で最も複雑な反応系の一つになっている。一方、原始前生物環境での複製対象になる短鎖ペプチド構成体のアミノ酸配列は、タンパク質のそれよりもはるかに短いが、私は合成するに充分な複雑さを備えていると考える。原始前生物環境でのペプチド構成体の複製には、核酸が存在しない条件下で行われなければならないという制約も加わるが、それでもタンパク質よりもはるかに短いペプチド構成体であれば、核酸が関与しない系で複製する可能性があるのではないだろうか。例をひとつあげよう。現存するある種の微生物に存在する特殊なアミノ酸数が十数個以下のペプチド系抗生物質は、リボソームが介在しない鋳型的多酵素複合体系で基本的に酵素タンパクのみで複製される。リボソームが介在しないペプチド合成系は、非リボソーム性ペプチド合成(Nonribosomal peptide synthesis,NRPs)と呼ばれる。このような短鎖ペプチドの複製機構の原始的なかたちは原始前生物環境にも存在し、短鎖ペプチド複合体の主要な複製機構となっていたばかりではなく、結果的には、それが遥か後の現存の細胞のタンパク質生合成でのリボソームが介在する生合成系の橋渡しとなったと私は考えている。
繰り返して述べるが、高分子核酸がまだ存在していなかった原始前生物環境で、このNRPs系の原始的なものが短鎖ペプチド構成体の複製に関係していたのではないかと推定した。そこで、このNRPs系の鋳型的多酵素複合体系によるグラミシジン、チロシジン、バミトラシンなどの短いペプチド系抗生物質の合成を手掛かりにして、短鎖ペプチド構成体の複製機構を考えてみたい。
その前提として、現存のNRPs系が、リボソームが介在しない条件下でどのようにペプチド系抗生物質を生合成しているかを具体的にみてみる。現存のNRPs系の構造は巨大な鋳型的多酵素複合体系であり、開始、伸長および終結の三つのモジュールから構成される。それは遺伝子の転写物である伝令RNAが開始、翻訳および終結の各領域から構成されていることと共通していると考えられる。NRPsでは、まず開始モジュールのA-ドメインにおいて、N末端に相当するアミノ酸のカルボン酸基がATPとのアデニル化で活性化し、アミノアシルAMPが合成され、次にそれがPCPドメイン中に含まれている補助因子4-ホスホパントテテイン酸担体とチオエステルを形成し、PCPドメインと結合する。このN末端にあるアミノ酸は、開始モジュールに存在する転移酵素により、次の伸長モジュールに先のN末端アミノ酸が結合した様式でPCP-ドメインに結合している二番目のアミノ酸に転移して、ジペプチドが生成される。この重合したジペプチドは、すでに次の伸長モジュールのPCP-ドメインに結合している三番目のアミノ酸に転移し、トリペプチドが生成される。このようなペプチド伸長機作によりペプチド配列に従って伸長した新生ペプチドの合成が、終結モジュールまで続くのである。従って、伸長モジュールは複製対象のペプチドのアミノ酸数だけ存在し、アミノ酸配列順に並び、鋳型的多酵素複合体を形成していることが重要である。ペプチド伸長機作は、リボソーム介在ペプチド合成系におけるペプチドの機作と基本的に同じである。しかし、両者の決定的な違いは、ペプチド伸長反応がNRPs系では触媒性タンパク性物質であるのに対し、リボソーム介在系ではrRNA/リボザイムであるといわれている点である。このことについては後で述べることにする。
私は原始前生物環境でも、上述のように鋳型的多酵素複合体系の原始的なものができていたと考えている。即ち、アミノ酸単体を構成体のアミノ酸配列順に並べ、それぞれ異なる短鎖ペプチド複合体に結合させたものを鋳型と想定した。アミノ酸配列順に並んだそれぞれ異なるアミノ酸単体をもつ短鎖ペプチド複合体に、この鋳型的複合体に結合したアミノ酸単体を連結させるペプチド伸長反応機作をもつ短鎖ペプチド複合体が加わり、連結したペプチドにアミノ酸単体がつぎつぎと連結して短鎖ペプチド構成体を複製していたと考えられる。そして、この複製された短鎖ペプチド構成体を、上述した「個別短鎖ペプチド複合体獲得装置(仮称)」にインプットすると、自律的に個別短鎖ペプチド複合体が形成されたと思われる。このように形成された多くの個別の短鎖ペプチド複合体は、多種多様な物質の生産を促進し、次の生命誕生時には、タンパク性物質で構成される「個別短鎖ペプチド複合体獲得装置(仮称)」の遺伝情報が遺伝子に伝達されるという大転換がおこり、タンパク質生合成機構がリボソーム介在系に分子進化したと考えている。