17.郷通子のモジュール説
”生命の起源”とモジュール説
私の「タンパク質ワールド」仮説―「ペプチドの段階的合成説」に基づいて短鎖ペプチドが天然タンパク質の原型であるという発想のきっかけになったのは、郷通子のヘモグロビン分子構築に関するモジュール説であった。私が帯広畜産大学の助手だった頃、同校で取り組んでいた大豆の根粒の研究で、根粒を指でつぶすと出てくる赤い汁がヘモグロビンであることを初めて知り、植物にもヘモグロビンが存在することに驚いた。私はそれを契機に、郷のヘモグロビンに関するモジュール説の論文を読んだのである。しかし、”生命の起源”の思索とこのモジュール説を本格的に結び付けるようになったのは、本書を書き始めた退職後のことである。
郷のモジュール説は、ヘモグロビン構造が構造解析から4種のモジュール単位から構築されていることを示した画期的な概念であった。ヘモグロビン遺伝子がイントロンで4種のエクソンに分断され、それらのエクソンが構造的にそれぞれの4種のモジュールに対応することを実証したのである(参考文献:Go, M. :Correlation of DNA exonic regions with protein structural units in haemoglobin. Nature 291, 90-92 (1981)。
ヘモグロビン分子の起源は、ヘムをもつモジュールが最初に構築され、それを補完するかのように別のモジュールが複合体を形成し、酸素分子との解離・会合が円滑に行われたと考える。その立体構造は、中核に酸素と結合するヘム分子を配位するモジュール構造があり、その周りを3種のモジュールが取り囲むように配置される独自の構造をとる。私は、それがタンパク質の起源にもかかわる問題をはらんでいるのではないかと思うようになった。即ち、遺伝子が出現する以前に、このモジュール構造を短鎖ペプチドに置き換えてみたらどのようになるかと考えたのである。また、天然タンパク質とは、ペプチドのような小さな単位の構成体が集積されたものではないかとも考えるようになった。
一方、郷がいろいろなタンパク質で見出したモジュール単位は、アミノ酸残基数が10~40個の範囲であり、仮にアミノ酸残基数が20個以上では主鎖のペプチド結合の回転の自由度が著しく制限され、ある程度柔軟性があるにしても、固有の立体構造をとると考えられる。更に、アミノ酸が数個から十数個の短鎖ペプチドレベルにまでモジュール構造を分断すると、上述したように主鎖の回転の自由度が緩和され、その結果構造に揺らぎが生じ、遷移的に異なる構造をなし、固有構造がとれなくなる。
短鎖ペプチドがもつ擬態思想
私は短鎖ペプチドが確かに擬態思想をもっていると考えている。擬態思想は、短鎖ペプチド自体の構造的揺らぎが対象物質の構造のかたちに自律的に適応することに起因しており、揺らぎの構造になっている短鎖ペプチドが、他の同様な状態のペプチドに適応すると複雑な構造になると推測される。しかし、複合体の大きさがモジュールレベルにまでに達すると、構造の安定性が増し独自の固有の構造をとるようになり、同時に擬態思想の能力が低下するのではないかと考えられる。さらにタンパク質のレベルまでになると、分子全体では擬態思想は著しく低下するが、その局部のループのような無秩序構造に機能が多いことを踏まえると、この無秩序な構造に擬態思想が残っていて機能をはたしていることも考えられる。
別の見方をすると、アミノ酸残基数が十数個以下の短鎖ペプチドは単独で抗生物質、毒素やホルモンなど生理機能をもち、タンパク質構造の一部の短いアミノ酸配列領域では、モチーフの項でも述べたように、タンパク質構造間の相互結合に使われたり、物質との結合部位や触媒活性部位で機能したりする。このことは、タンパク質の巨大構造のすべてが機能に関係しているのではなく、主にそのごく一部の機能をもつアミノ酸配列領域が重要であるという根拠になる。いうならばタンパク質という巨大な建造物は、その表面のペプチドレベルの狭い領域に機能が局在して、全体の構造がこの狭い領域の機能遂行を支えているのである。
これから推測されるのは、最初に機能をもつ短鎖ペプチドがあり、その周りを多数の短鎖ペプチドが支えて、構造の安定化をはかり、同時に機能の効率を高めた結果が「一タンパク質・一機能」の由来になっているという仮説である。郷のヘモグロビンサブユニット構造研究と遺伝子との関連研究で、各エクソンがコードする4個のモジュールも、酸素と配位するヘム構造をもつものの周りをほかの3個のモジュールが補完し、構造や機能の安定化をはかっていることからもわかる。私は、短鎖ペプチドが構築原理を確立した遥か後に遺伝子が出現したものと考えており、もしそうであれば遺伝子が関係しないタンパク質構造の構築を短鎖ペプチドのレベルにまで分断して分析していたから、新しい知見を得たのではないかと思っている。