11.擬態思想
短鎖ぺプチドに備わる「擬態思想」
短鎖ペプチドの本性は、先に述べたように、自律的に自分のかたちや化学的性質を変えながら対象物質に適応し、最も高い結合特異性で一体化する戦略をとるという稀有な性質をもっていた。私はこのように相手のかたちに合わせて自分のかたちを変えることを、“擬態思想”と呼ぶことにした。擬態思想とは他の物質の性質には全くなく、短鎖ペプチドだけがもつ特殊な性質を象徴的に表現した言葉である。この場合の擬態とは、動物の形、色彩や姿勢が他の動植物または無生物に似るという、あの擬態のことである。また、ここでいう思想とは哲学的な大げさなものではなく、単なる「考えられたこと」という意味である。一方、現存するタンパク質の中には、他の物質のかたちを真似して機能を果たすという分子擬態の存在が知られている。その場合、真似する側の物質はすべてタンパク質であることから、このような擬態思想をもつものはタンパク質だけで、構造的本性となっていることは間違いない。その一例として、転移RNAやATPなどの構造や機能を真似するタンパク質の例が存在する(参考文献: Protein Science, 10, 1160-1171 (2001))。私は、このようにタンパク質が他の物質のかたちと機能を真似るという分子擬態の原型は、すでに対象物質のかたちに柔軟に適応する短鎖ペプチドにあったこと、もっと拡大解釈すれば動物の擬態行動もその思想の源流は短鎖ペプチドにさかのぼることができるのではないかと考えている。
現存するタンパク質構造にみられる擬態の例をあげてみよう。これまでの研究で、タンパク質の内部構造で同じアミノ酸配列をもつ部分であっても、タンパク質構造内の位置が変われば異なった二次構造をとる場合があることが多く見出されており、それはカメレオン配列として知られている。これは同じアミノ酸配列でも、その周りの構造環境に適合して、いくつかの構造に変わり得ることを示唆している。また、このアミノ酸配列の長さは、ほぼ短鎖ペプチド鎖に匹敵すると思われる。これは、同じアミノ酸配列をもつ短鎖ペプチドでも、周囲の構造環境や物質によって、かたちを変えるという擬態思想をもっているという間接的な証拠になるのではないだろうか。即ち、短鎖ペプチドも独自の物性を有し、その思想は本来短鎖ペプチドが自然生成されるときに備わった構造的本性であり、それがタンパク質に分子進化する過程にも継承されたものと考えられるのである。
タンパク質に求められる高い特異性
繰り返し述べるが、多様な機能をもつタンパク質の最も基本な機能は、対象物質との自律的で選択的な結合である。触媒作用のような高度の機能も、対象物質との間の高い特異的な結合が基本で、それを基盤に成立しているのである。対象物質と結合するタンパク質の結合部位は、基本的には短鎖ペプチドの長さとほぼ同じであり、結合は極めて狭い局部構造単位で行われる。当然、対象物質が大きい場合は、その結合局部単位が増えるように設計されていると解釈した方がよい。その結合が、単なる化学的な非共有結合だけであれば、結合特異性が低く、特定のタンパク質が対象物質以外のものと結合しまう恐れがあり、特に生体内の代謝に関与する酵素タンパクの場合は、代謝系の混乱を招きかねない。その危険を避けるために、結合部位が対象物質のかたちにぴったり合い、それ以外の物質は入り込まない構造を構築し、特異性を高めるように分子進化したと考えられるのである。そのために、結合部位のアミノ酸残基の組成や配置を変化させ、対象物質のかたちと相補的にぴったり合うような構造をつくり上げ、かつその構造内で対象物質と、より効果的な化学結合ができるという難解なパズルを解くような性質が求められたのであろう。即ち、酵素タンパク、抗体タンパクや認識タンパクが対象分子である基質、抗原および認識分子などと結合する場合、エミール・フィシャーが提唱した「錠と鍵」の関係のようにかたちがぴったりと合う状態になる必要があった。対象物質である基質、抗原や認識分子は多種多様存在するが、この膨大な種類の対象物質は、自らの構造を変化することはできず、構造変化ができるのはタンパク質だけである。原則として、タンパク質は一種類の対象物質しか結合できないという、極めて高い特異性が要求される。