23.生命誕生の鍵を握る「タンパク質ワールド」仮説

 

タンパク質の起源

 私は、タンパク性物質がRNAやDNAのような情報高分子よりもはるかに早く、この地球上に出現したと考えている一人である。その根拠は、分子進化で各種の物質がそれぞれ出現するには段階があること、合成が容易なものほど早く出現し、その後、その物質を基盤にして他の物質も巻き込みながら、徐々に複雑な物質が出現するという段階論を支持するからある。その原理を、生命の起源に大きな影響をあたえるタンパク質とDNAとの関係で考えてみると、アミノ酸からタンパク質の原型であるペプチドへの自然生成が、原始地球環境の海底の熱水噴出口という特殊な環境とはいえ、生成条件がととのえば容易に生成されるとの印象を受ける。それに反して、このような容易さで核酸単量体が相互にリン酸ジエステル結合で重合し、オリゴヌクレオチドが自然生成されることについて、私は知らない。このことは、アミノ酸のペプチド結合と核酸のヌクレオチド間のリン酸ジエステル結合の間に、生成の難易度が際立っていることを示している。この一点をみても、高分子核酸がタンパク質とほぼ同時的に並行して出現するとか、それよりも早く生成するとは考え難く、合成困難なRNAやDNAは遥かに遅れて、既に生成されていたタンパク性触媒の機能で創生されたという考えは、理にかなっていると考えられ、原始前生物環境でタンパク性物質の方がはるかに早く出現したと考えてもよいのではないかと思う。
 

「RNAワールド仮説」の誕生とその矛盾点

 しかし、これに機能をもつタンパク性物質がDNAの遺伝情報がなければ生産されないという前提が加わると、ややこしくなってくる。生命を維持していくには、機能をもつタンパク質と情報をもつDNAが不可分な関係にあり、両者がほぼ同時に並行して出現し、お互いに協同して作業する必要があり、もしどちらか一方が欠けても、生命の誕生はなかったとする考え方があるからである。また、そのような背景でRNAの触媒機能が発見されたのである。このことから、原始的であるが機能と情報という二つの機能を同時にもつ可能性のあるものとして、RNA以外には考えられず、RNAを生命の起源の基軸に据えるべきであるとする「RNAワールド」という奇抜な仮説が登場することになった。この説はDNAの遺伝情報がなければタンパク質は合成されないし、タンパク質の機能がなければ遺伝情報は成立しないという、堂々巡りを解消するために考え付いた苦肉の策であったとも考えられる。

 しかし、この「RNAワールド」仮説が盛んな頃でも、大いに期待されていたRNAが遺伝情報の収納能力があり、タンパク質の原始的な発現に関与があったという報告を私は知らない。一方、RNAの触媒機能の主なものは、リボソームのペプチジル基転移反応によるポリペプチド鎖伸長反応であり、他にRNAを加水分解したり、それらの生成物を転移するなどの反応に限定されており、RNAの触媒作用の前提となる物質との結合でも著しく限定されている。RNAに関して現在わかっていることを総合しても、生命誕生に必要な代謝反応をおこなうほどの触媒能力があるとは、到底思えない。生物細胞を支えている生体反応は、基本的に物質代謝とエネルギー代謝反応などに関わる多数の複雑な化学反応の上に成立しており、RNAの触媒能力がタンパク質に代わって、そのような化学反応を遂行できるかどうかは大いに疑問がある。このように、私はRNAが機能や情報に関係している保証は、ほとんどないと考えている。以上のことからでも、また合成し易いものが早く、合成困難なものは遅くという物質合成の段階論からでも、今のところ、この「RNAワールド」仮説が万人の納得が得られる根拠もないと考えたのである。

 RNAとDNAの出現はタンパク性物質よりも遥かに遅れて、リン酸ジエステル結合はそれを触媒する短鎖ペプチド複合体によってはじめて可能になったと考えられる。このことを考えると、合成容易と思われるタンパク性物質が合成困難な高分子核酸が同じような時期に出現し、両者によって生命誕生を牽引できたとはどうしても考えられないのである。
 

タンパク性複製を可能にする短鎖ペプチド構成体の複製

 しかし、タンパク性物質がすでに情報核酸よりも遥か前に創生されたとすれば、情報と不可分の関係にあるタンパク性物質の生成が、情報がない環境で長い間続くことになり、機能と情報が不可分である前提が崩れることになる。その前提は一般にタンパク性物質が遺伝情報をもっておらず、従って複製できないとする根拠になっていたが、それについてはタンパク性物質の多様な能力から考えて、私は疑問をもっていた。そこで、タンパク性物質の分子進化の段階を遺伝情報の立場で、もう少し詳しく調べてみる必要があると考えた。現存するごく一部の微生物の中には、特殊なペプチド性抗生物質をタンパク性複製機構である非リボソーム性ペプチド合成で複製するものがあり、タンパク性物質が遺伝情報をもつということに、研究の萌芽を感じたのである。

 私は、この非リボソーム性ペプチド合成が原始前生物環境での短鎖ペプチド構成体がタンパク性物質のみで複製する可能性があり、情報をもつタンパク性物質の存在を考えた。短鎖ペプチド構成体が複製されれば、会合によりタンパク質の原型である短鎖ペプチド複合体が自動的に形成することができると考えたのである。このことは、原始的タンパク性物質の段階で、機能と情報の二つの能力をもつものがそれぞれ出現したことになると考えられ、この機能と情報をそれぞれもつタンパク性物質の出現の可能性は、「タンパク質ワールド」仮説の有力な根拠になるものと考えた。

 繰り返し述べるが、原始前生物環境でタンパク質の原型である短鎖ペプチド複合体は、短鎖ペプチドの会合によって大きくなるに従い、多様な機能を獲得したが、その中には同時にタンパク性複製という遺伝情報能力もあったのではないかと考えられる。その仮説にたつと、タンパク性物質は情報核酸の存在がなくとも創生され、この短鎖ペプチド複合体が触媒機能を獲得し、次に遥か後に合成困難なRNAやDNAのような高分子核酸を創生したと考えるほうが理にかなって無理なく説明ができる。「RNAワールド」仮説が示すような、情報高分子核酸がタンパク質とほぼ同時に並行して出現しなければならない、という無理な説明をする必要がなくなるのである。その後、原始前生物環境でのタンパク性物質が多くなり、複製機構の情報容量に限界が生じ、それに代わる物質として遥かに情報容量が高く、自己複製ができるものとしてDNA分子が確認され、遺伝情報の収納する場をDNAに受け継がれたのである。
 

奇跡の物質『短鎖ペプチド』

 極端に複雑な自動制御組織体としての生命は、その運営のすべてが、唯一タンパク質の機能に依存しており、その存在が生物の組織を起動し、活動を維持し、さらに進化の保障となっているのである。このことは驚くべきことであり、タンパク性物質はどのようにして、このような魔術的な働きを可能にしているのだろう。私は、この奇跡のような物質の原型が短鎖ペプチドだと考えており、原始地球環境の早い時期に出現して、地球の環境変動に対応しながら分子進化を遂げ、その過程で短鎖ペプチドのみが多様な機能を獲得し、多種多様な有機物質をつくりだし、自らがつくった物質を巻き込みながら、結果として生命が誕生することになったと考えている。極端に言うと、原始地球に奇跡的にこの短鎖ペプチドが出現したことが、その後の分子進化を伴い、結局自動制御機械としての生命が組み立てられ、この生命という複雑な機械の自律的な起動が誘発されることになったと考えており、短鎖ペプチドの出現が、原始地球環境を他の天体に類例を見ない独自の生命を宿す惑星に変貌させ、その後の地球環境を全く変えてしまったのである。このようにみると、生命の起源は明らかに「タンパク質ワールド」仮説であったと考えられる。
 

『擬態思想』と『断片化思想』

 短鎖ペプチドは、どのようにして生命誕生という奇跡的で魔王的な仕事を成し遂げたのだろうか。私は、短鎖ペプチドが擬態思想と断片化思想という、稀有な性質をもっていたからこそ可能であったと考えている。タンパク質が擬態思想をもったことが、自分の立体構造を変えてまで、それぞれ固有の構造をもつ物質に積極的にぴったりと結合する能力を身につけたことになったと考えている。このような擬態思想は、短鎖ペプチドが自然生成されると同時に構造的に兼ね備わったものであり、短鎖ペプチドが他の物質と特異的に結合したことが、多種多様の機能を獲得した要因になったと考えている。

 一方、タンパク質が著しく高い結合特異性をもつことは、タンパク質の種類が物質の種類だけ存在しなければ、機能がはたせなくなることを意味する。このことは、これまでに地球上に存在した物質に対処し、さらに将来遭遇するであろうすべて物質に対応するだけの厖大な種類のタンパク質が必要になることになる。このように厖大なタンパク性物質の創出がどのような原理で行われたか、興味がわく。この問題の解決には、タンパク質の断片化思想が関係していると考えられる。即ち、タンパク質は20種類のアミノ酸が100個以上ランダムに結合した重合体であり、さらに数百個あると考えられる短鎖ペプチド構成体は、アミノ酸が数個から十数個で構成され、それらが数個から数十個会合した巨大な集積体であるといえる。以上の条件で集積される天然タンパク質が形成できる種類を計算すると、それは厖大な数になる。この厖大な種類の天然タンパク質は、現在細胞に存在するすべてのタンパク質を充分に網羅できるし、これまで地球上で生成されたタンパク性物質や、将来新規に創生されるであろう物質に対しても、充分対処できるものと考えている。断片化思想がこのような厖大な種類のタンパク質を創出できるのは、数百種類の短鎖ペプチド構成体を数個から数十個ずつ組み合わせることにより、厖大な種類が得られるためである。厖大な種類のタンパク質の一次構造であるアミノ酸配列から、多種多様の構造と機能をもつタンパク質が形成されるのは、それぞれのタンパク質のアミノ酸配列で立体構造に必須なアミノ酸が変わることによって、厖大な種類の固有の立体構造が生じ、それに伴って固有の機能が獲得されるからである。このようにして形成するタンパク質は、過去もそうであったし、将来の進化した生物の運営に対応できる、すべての機能を秘めているのである。
 

『折りたたみ機構』の確立

 また、短鎖ペプチドが他の短いペプチドと次々に特異的に会合して、タンパク質の原型である短鎖ペプチド複合体の構造を形成し、この会合過程で多種多様な機能を獲得したことは大きい。最初に短いペプチドが形成され、段階的にこの小さなペプチドが相互に会合してタンパク質の原型である短鎖ペプチド複合体を形成するという、ペプチド生成段階論は「タンパク質ワールド」仮説を説く者であれば、誰でもが気が付く共通した概念である。ただし、短鎖ペプチド複合体形成では、短鎖ペプチド構成体が非特異的にベタベタと会合するのではなく、タンパク質の立体構造の形成の折り畳み機構を眺めてみると、一本のタンパク質の主鎖がその鎖の途中にいろいろの糊しろがあるにもかかわらず、高い特異性で会合しているのをみると、そこに高い秩序をもって会合して複合体が形成されていることがわかる。
 

生命の起源は徹頭徹尾タンパク質が基盤となる

 自然には経済性があり、タンパク質とRNAやDNAの高分子核酸の生合成においては、最小限の構成成分とエネルギー消費で、最大限の機能上の効果を獲得することで共通しているのではないかと考えられる。分子進化の過程で、タンパク質は多種多様の複雑な生体機能をすべて引き受けていることから、構成するアミノ酸の最小限は20種類が限界であったと考えられ、これに対して、DNAは自己複製が唯一の機能であることから、わずか4種類のデオキシヌクレオシドが必要であったと考えられる。しかし、短鎖ペプチド複合体は主に短鎖ペプチド構成体の複製には適していたが、この複製反応速度は遅く、しかも複製効率がはなはだ低いと考えられる。さらに、それよりもはるかに長いタンパク質の複製はまったく不可能であり、それを克服するために、タンパク性物質の機能は、迅速に簡便に自己複製を専門的に行う遺伝子を創生し、遺伝情報の次世代への伝達とタンパク質の生産に応用し、「生命の誕生」に道を開いたのである。このように多種多様な機能をもつタンパク質と唯一の専門的に機能をもつDNAでは、それぞれの構成成分の種類の数も構造の複雑性も、全く異なると考えられる。しかし、もし効率的で複製速度がはるかに速く、厖大な情報の収納能力の唯一の専門的機能をもつDNA分子に委ねなかったなら、生命の誕生は全く不可能であったろう考えている。そうとは言っても、そもそも生体のすべての機能をもつタンパク質が生命の誕生の本流であり、専門的機能をもつDNAやその他の生命物質などの多くの支流を集めながら、生命の起源の大河となったと私は考えている。

 造物主とさえ思われているDNA分子が、迅速で簡潔で完璧に自己複製するという独自の機能をもち、厖大な遺伝情報を収納し、次世代にその情報を伝達することに最も適した物質であることは間違いないが、その遺伝情報を独自の規範に従って行動するという能力はなく、タンパク質の働きがなければ何もできない不活性な物質にすぎない。いわば、多くのタンパク質に担がれた御神輿のようなものであるといえる。御神輿が動き出したり、止まったり、どのような速度で、どの方角に動き出すかは、御神輿の担ぎ手であるタンパク質が決定することになっており、このようなタンパク質の制御機構がなければ、DNAは自己複製や遺伝情報の発現を、自らがコントロールできないのである。このことはタンパク質が遺伝装置の管理運営の主導権を依然として握っており、非リボソーム性ペプチド合成のタンパク性物質による遺伝情報の収納がタンパク性物質からDNAに移ったとしても、タンパク質が遺伝情報を主導的に管理している構図は変わらないのである。これらのことからも、タンパク質は生命誕生を主導的に牽引し、引き続き「生命誕生」後の生物進化の推進者であったことは間違いないであろう。

 以上のことから、タンパク質という奇跡の物質がなければ生命の誕生はあり得なかったと考えられ、その結果、生命の起源は、徹頭徹尾タンパク質の構造と機能が基盤となった「タンパク質ワールド」仮説を基軸に展開してきたという結論が導き出されるのである。

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