1.「RNAワールド」仮説に対する疑念
「RNAワールド」仮説に対する疑念
「生命の起源」に関して私の「タンパク質ワールド」仮説を述べてみたい。これまでに「生命の起源」に関する諸説が数多く発表されてきているが、現在のその到達点はなんとなく「RNAワールド」仮説であるかのような印象を受ける。「RNA ワールド」仮説の発端になったのは、何と言っても1980年代のチェックらの研究によるRNAが生体触媒機能をもっているという衝撃的な発見であった。当時、生体触媒機能は唯一タンパク質だけがもつものと考えられていたが、ごく一部の反応に限定されていたとはいえ、触媒作用がRNAの機能の一部となっていることが実証されたのである。この発見の結果、RNAが一挙に注目を集め、各分野で多くの研究が行われ、それは「生命の起源」の分野にまで波及した。チェックの研究以後、タンパク質やDNAが出現する以前の原始地球環境で、RNAという一つの物質が、生命維持の根幹に関わる生体触媒と遺伝情報管理という、重要な二つの機能を合わせもつ可能性がにわかに唱えられるようになったのである。
生命の誕生に必要であると考えられていたタンパク質やDNA分子が創生される以前に、RNA分子が二つの機能を同時にもつ原始的物質として原始地球環境に出現し、その遺伝と触媒の機能を巧みに駆使しながら生命誕生を牽引したとする「RNAワールド」仮説の誕生である。生命誕生後、この二つの機能を兼ね備えたと考えられるRNA分子は、遺伝情報の収納と自己複製の機能をDNAが、触媒機能をタンパク質がそれぞれ専門的に受けもつという分子進化をおこし、はるかに効果的な現存の生体システムが確立したと考えられている。
しかし、すべての科学者がこの「RNA ワールド」仮説を認めているわけではない。これまでの研究でRNAが明確に遺伝機能をもっていることや、多様な生体反応に対応できるほどの触媒的機能をもつ可能性があったという確実な成果が未だ得られていないからである。このように、RNAが生命の誕生を予兆させるような決定的に影響を及ぼす研究が得られていない現状で、「RNA ワールド」仮説に対する疑念は科学者の間に根強く残っていることも事実である。私もそういう疑念をもつ者の一人である。
私は生物が生命活動を維持し進化していけるのは、基本的には多種多様の機能をもつタンパク質の存在様式の結果であると考えている。「生命の起源」研究でも、この最も重要なタンパク質が主体になって「生命の誕生」を牽引したのではないかと考え、「タンパク質ワールド」仮説が正しいものと考えるようになった。しかし、このような「タンパク質ワールド」仮説に対して、タンパク質の重要性は認めるとして、重要であるはずのタンパク質の情報が遺伝子としてDNAの塩基配列に収納され、同時にその情報も幾世代にわたって伝達するのはDNAの自己複製の機能によるもので、さらにタンパク質の生合成にもDNAやRNAが関与しているではないかとの指摘がある。それはすなわち、DNAやRNAが主体となっている遺伝装置の関与がなければ、生物が生命活動を維持できないシステムになっているという指摘であろう。また同時期に、核酸の研究成果が着々と蓄積されたため、遺伝子研究の隆盛と相まって、核酸の研究成果を第一に考えて、それを優先させていけば「生命の起源」の研究も早く解決するのではないかという考えが広まったのではないかと思われる。
DNAやRNAが共に、生命活動の基盤となっている遺伝装置に機能していることが予想以上に注視され、タンパク質は重要であるはずにもかかわらず、あまり顧みられなくなった理由としては、タンパク質がすべての生物運営において予測できないほど多種多様の機能に関連していること、加えて、すべてのタンパク質が巨大でそれぞれ固有のかたちを示しており、個々で立体構造が異なるため構造解析も困難であること、さらにその一部の機能発現部位も著しく複雑であることがあげられる。そのため、タンパク質が全体として捉えどころのない曖昧模糊とした物質である、との印象が浸透してしまったのかもしれない。
遺伝子の研究の優位さを示すエピソードとして、遺伝子の重要な発見が相次いでいた時期に「タンパク質の終焉」という言葉があったことを思い出す。これは主に遺伝子の研究さえやっていれば、ある程度までタンパク質構造や機能の輪郭が解明されるかもしれないという意味で発された言葉であったろうと理解する。そして、このようなことが背景となり、「RNAワールド」仮説が広く拡大していったと考えられる。しかし、その後の遺伝子研究がタンパク質構造を決定的に前進させたということを、私が知る限り聞いたことがない。
自己複製の起源
そもそも、生命誕生前の原始地球環境から現在までの長い分子進化で、高分子核酸だけが一貫して遺伝装置の本体であり、それが生命の誕生を担ったとする固定概念が間違いではないかと私は考える。即ち、DNAの構成塩基の分子的特性である相補的結合による完璧な自己複製機構が唯一の遺伝情報の複製に関係しており、最初から自己複製はDNA以外に考えられないという前提に立って「生命の起源」の論議がなされてきたことに、いささかの疑念をもつのである。
私自身は、この完璧なDNAの自己複製が何の前触れもなく突如として原始地球環境に出現したとは考え難いと思っている。そうではなく、それよりもはるか以前に自己複製の原理をもつ物質が出現し、それが原始的な遺伝装置を形成し、その原理が「生命の誕生」期にDNAに伝達されたという大転換があり、それが「生命の誕生」を部分的に牽引したのでないかと考えるのである。この自己複製の原理をもつ物質として、タンパク質があげられる。タンパク様物質が、DNAが創生されるはるか以前に、DNAとは質的に異なる様式で自己複製を行い、それによってタンパク様物質を合成していたと考えているのである。
生物細胞でのDNAの自己複製は完璧であり、この完璧性がなければ、細胞の染色体が短時間で複製を完了することはできないことも事実である。しかし、生命誕生以前に、DNAの構成塩基が相補的対合によって自己複製するのと同じことが、タンパク質では構成アミノ酸同士が相補的に対合できないことから、複製はほとんどありえないと決めつけ、タンパク質がDNAの自己複製と異なる機構で複製能力があるかどうかを検証をしてこなかったことが、問題であると考える。私は、原始地球環境にあって、自己複製の原理をもつ物質が「RNAワールド」仮説で述べられている原始RNAではなく、原始的なタンパク様物質であったと考えている。
私はその根拠となる研究で、ごく一部の微生物がおこなう特殊なペプチド鎖の複製機構の存在に注目した。そして、高分子核酸の遺伝装置の出現より遥か以前の原始地球環境で、原始的なタンパク様物質がペプチド様物質を複製し、それがいろいろなタンパク様物質を生成したのではないかという推論を導き出した。本書ではこのようなタンパク様物質の独自の複製機構の可能性について、私の考えを述べていく。
もし、原始的なタンパク様物質で構成された遺伝装置がペプチド様物質を合成し、結果的にはタンパク質の原型である原始的タンパク様物質を複製することが可能であるとわかれば、「生命の起源」の研究の様相も変わったものになることは間違いない。